昭和人のつぶやき

昭和50年生まれのサラリーマンブログです

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”ファミっ子”はいますか?

ファミっ子集まれ!!

 

みなさん、「昭和」という元号を聞くと何を思い浮かべますか?

 

令和生まれのちょー若い世代からしたら「何それ?お菓子?」

という感じでしょうか。平成生まれからすれば「古い時代。戦争よりちょっと前。

親の世代」という感じですかね。

 

やっぱり"ファミコン"

私は昭和50年生まれですので、「昭和」と聞くと、生まれ育った町、

幼馴染、近所の惣菜屋さん、公園のSL、などなんとなく夕日が似合いそうな

要素がとめどなく浮かんできて思わず目頭が熱くなるわけですが、

中でも当時の子供時代の大半を共に過ごした「ファミリーコンピュータ」こと

ファミコン」がやはり忘れられない思い出なんですよね。

 

あの、友達の家ではじめて遊ばせてもらった「マリオブラザーズ

スーパーマリオじゃないすよ)の滑らかなマリオの動きといったら、

それまでの相棒だった「ゲームウォッチ」を遥かに超えた世界が広がって

いたわけです。

 

そして家庭のテレビでゲームができる素晴らしさ。当時は今のような

50インチ、60インチといった大画面のテレビはもちろんなく、パソコンの

モニターほどの大きさの、それも電源はつまみ式(ときどき外れるんですよね)の

ものでしたが、お茶の間の唯一と言ってもいいエンターテイナーであり、

それこそ休日は最強のテレビ番組がコンボで攻め立ててくる「魔法の箱」で

あったテレビ。このテレビになんとゲームが繋がる、ゲームウォッチの数十倍の画面でマリオが縦横無尽に動き回る、なんて夢のような体験がそこにはあったわけなんですよね。

 

「ゲームセンターは不良の溜まり場だから言っちゃダメ!」と母親からキツく言われていた時代、そんな折になんと、ゲームセンターでしかプレイできなかったようなゲームが家庭で、安全に、無料で、不良に絡まれることなく楽しめた時のあの感動、そんな衝撃的な体験が「昭和」にはあったのですよ。

 

その後「学校の勉強頑張るから!クリスマスとお年玉と誕生日プレゼント、纏めてでいいから!クラスの友達、全員持ってるから!」と思いつく限りの「空宣言」をしてなんとか我が家に迎えることができた「ファミコン」でしたが、この瞬間から10年以上、”最高の相棒”として、時にはクソゲーを提供してくる”憎たらしいあいつ”として、私の昭和時代を共に駆け抜けていったのでした。

 

マリオブラザーズを語る!!

せっかく今回は「マリオブラザーズ」について触れたので、最後に私なりの「マリオブラザーズ」に関する批評を書いて終わりたいと思います。

 

あの頃のパッケージはカセットと同じ大きさの箱に入っていました。そしてカセット本体はビニールに丁寧に包まれており、横長の説明書が背面に入ってましたよね。意外と箱の中に余裕がなくて、説明書がうまく入らずに反対側から出てきたりしてたのを思い出します(笑)

そして説明書には「ベンジンなどで拭かないでください」と、ゲームの内容とは全く関係のない注意書きが書かれており、「ベンジンてなんだよ?拭かねーよそんなもん」と1人で突っ込んでいたっけなあ。。

 

さて、ゲームの中身ですが、固定の一画面の中で上方の土管から出てくるカメやカニなどのキャラをブロックを通して真下からジャンプしてひっくり返し、蹴っ飛ばして退治する、という、これをひたすら繰り返すゲームでしたね。

2人プレイだとルイージも参加し、協力プレイや殺し合いなど色々ルールを作って楽しめたのも長く飽きさせない工夫だったと思います。

あんな初期のゲームだったのに凄いと思ったのは、マリオ(ルイージ)の真下から頭突きで相手をジャンプさせられるところ。8ビットのコンピュータでそんな詳細な部分まで操作可能としていたのは、さすがの任天堂さんですね。

 

時を越え、令和の時代でも実は子供ウケするゲームだったりするわけです。みなさんもお子さんとのコミュニケーションに是非使ってみてくださいね!!

 

※下記のゲーム回顧録もご覧ください

bluenoteman.hatenablog.jp

 

by Boukaih(Unsplash)